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シネマ絵ッセイ

映画の感想、考察、レビューなど 絵や画像を使ってエッセイ風に書いています

映画「シェイプ・オブ・ウォーター」感想 ~目に見えない、もう一人の怪物。もう一つの物語。~

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“『The Shape of Water』イラスト化”

目次

  • ◆作品紹介
  • ◆あらすじ
  • ◆序章 イントロダクション
  • ◆一章 自然と文明の間
  • ◆二章 アナログ愛と古い価値感
  • ◆三章 文明の怪物
  • ◆終章 自然の怪物の正体

◆作品紹介

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2018年制作のアメリカ映画
監督:ギレルモ・デル・トロ監督
代表作「ヘルボーイ
   「パンズ・ラビリンス
   「パシフィック・リム
   「ホビット 竜に奪われた王国
   「ホビット 決戦のゆくえ」

※日本の特撮、アニメ、マンガを愛好
 特に『攻殻機動隊
 の押井守監督を尊敬している
情報:アカデミー賞 監督賞、 作品賞
   ヴェネツイア映画祭 金獅子賞
   ゴールデングローブ賞 監督賞
   LA映画批評家協会賞  監督賞

◆あらすじ

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“『The Shape of Water』20Century Fox”

1962年、アメリカ。
政府の極秘研究所で
清掃員として働く
イライザは
ある日、
施設に運び込まれた
不思議な生きものを
清掃の合間に盗み見てしまう。


“彼”の奇妙だが
どこか魅惑的な姿に、
心を奪われた彼女は、
周囲の目を盗んで
会いに行くようになる。


幼い頃のトラウマから
イライザは声が出せないが、
“彼”とのコミュニケーション
に言葉は必要なかった。


次第に二人は心を通わせ始めるが、
イライザは間もなく“彼”が
実験の犠牲になることを知ってしまう。
“彼”を救うため、
彼女は国を相手に立ち上がるのだが—。 


ー公式サイトより引用ー

◆序章 イントロダクション

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“『The Shape of Water』20Century Fox”

この映画は
二つの怪物の物語
から成り立って
いると思います


一つ目は
アマゾンの怪物と
イライザの
幻想的な恋愛物語


二つ目は
軍人ストリックランドが
人間社会の
圧力によって
怪物になっていく物語


そしてこの
「自然が生んだ怪物」と
「文明が生んだ怪物」の
間で揺れる人々の物語が
二つをつなぐように
語られます


さらに
アナログ文化への愛を
描きながら
古い価値観に囚われている
人間の苦しみや怒り
も描いています


一見、
単純なラブロマンス
しかし実は
海のように深い
魂の物語を


一章で 自然の怪物と文明の怪物の
    間に揺れる人々


二章で アナログ愛と
    古い価値観を嫌う矛盾


三章で 文明の怪物とは何か?


終章で 自然の怪物ーアマゾンの半魚人
    の正体について 
    語っていこうと思います

 

※ここから先はネタバレ感想です 
 ご注意下さい

 

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映画「コンテイジョン」感想 ウィルスという試練~エゴを捨てた意志の結晶~

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映画『コンテイジョン』Warner Bros

目次

  • ◆作品紹介
  • ◆あらすじ
  • ◆序章 イントロダクション
  • ◆一章 家族の物語
  • (ウィルスという愛の試練)
  • ◆二章 社会の物語
  • (ウィルスの魔力を強める狂気)
  • ◆三章 ドクターの物語
  • (ウィルスと命懸けで戦う魂のリレー)
  • ◆終章 ウィルスの正体

◆作品紹介

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映画『コンテイジョン』Warner Bros

2011年制作のアメリカ映画
監督:ソダーバーグ監督
代表作「トラフィック
   「オーシャンズ11
情報:
アメリカ疾病予防管理センター (CDC)
や他の感染症の専門家から
情報や助言を得た本格志向
●医療監修を務めた
イアン・リプキン医師の
感染が報じられる
●第68回ヴェネツィア国際映画祭初上映
週末三日間の興収ランキング1位
評価サイトでも好意的な評価が多く
観客と批評家ともに評判が高い
●新型コロナウィルスの感染拡大で
再注目、再評価される

◆あらすじ

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映画『コンテイジョン』Warner Bros

【恐怖】は、
ウイルスより早く感染する。
香港出張から
アメリカに帰国したベスは体調を崩し、
2日後に亡くなる。


時を同じくして、
香港で青年が、
ロンドンでモデル、
東京ではビジネスマンが
突然倒れる。


謎のウイルス感染が発生したのだ。


新型ウイルスは、驚異的な速度で
全世界に広がっていった。
米国疾病対策センター(CDC)
は危険を承知で
感染地区にドクターを送り込み、
世界保健機関(WHO)は
ウイルスの起源を突き止めようとする。


だが、
ある過激なジャーナリストが、
政府は事態の真相と
ワクチンを隠しているとブログで主張
人々の恐怖を煽る。


その恐怖は
ウイルスより急速に感染し、
人々はパニックに陥り、
社会は崩壊していく。


国家が、医師が、
そして家族を守る
ごく普通の人々が選んだ決断とは──?
(ワーナー公式サイトより引用)

◆序章 イントロダクション

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映画『コンテイジョン』Warner Bros

「春だけじゃなく
夏もムダに失うのね
失われた144日は二度と戻らない
時が止まる薬も発明してほしい」


ため息まじりに漏れる
少女の印象的な言葉
今のコロナウィルスの脅威に
怯え暮らす
私達の気持ちと
リンクします


何故こんなことが起きたのか?
何故こんなことになったのか?
ウィルスは何処から来て、
何処へいくのだろう?


この理不尽。
胸いっぱいの不安


でも、もう一度
よくこの災難を
見つめなおしてみてください


ウィルスは
自分のことだけ考えて動けば
その力は
悪魔のように強くなり
他の人を
「慮(おもんぱか)ろう」
という気持ちがあれば
静かに立ち去っていく
ように見えます


ウィルスは人間にとって
試練なのかもしれません


この映画で描かれる
ウィルスの試練を
三つの立場の物語

 
ー家族の物語    
ウィルスという愛の試練

  
ー社会の物語    
ウィルスの魔力を強める狂気


ードクター達の物語 
ウィルスと命懸けで戦う魂のリレー


から語っていこうと思います

※ここから先はネタバレ感想です 
 ご注意下さい

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映画「レ・ミゼラブル」感想 あえてこのタイトル、込められた強い意志

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“映画「レ・ミゼラブル」Rectangle Productions Lyly Films”

目次

  • ◆作品紹介
  • ◆あらすじ
  • ◆イントロダクション(序章)
  • ◆一章 貧しくなった正義ーパワハラ
  • ◆二章 貧しくなった心ーマウント
  • ◆三章 貧しくなった人ーレ・ミゼラブル(哀れな人々)
  • ◆終章 ハートに火をつけて

◆作品紹介

2019年製作のフランス映画
監督:ラジ・リ
監督は映画の舞台である
モンフェルメイユ出身
現在もその地に暮らす

●2019年・第72回カンヌ国際映画祭
     審査員賞
●第92回アカデミー賞
 国際長編映画賞にノミネート

◆あらすじ

パリ郊外に位置するモンフェルメイユ。
ヴィクトル・ユゴーの小説
レ・ミゼラブル」の舞台
でもあるこの街は、
いまや移民や低所得者が多く住む
危険な犯罪地域と化していた。
犯罪防止班に新しく加わることになった
新人配属された警官のステファンは、
仲間と共にパトロールをするうちに、
複数のグループ同士が
緊張関係にあることを察知する。
そんなある日、
イッサという名の少年が引き起こした
些細な出来事が大きな騒動へと発展。
事件解決へと奮闘する
ステファンたちだが、
事態は取り返しのつかない方向へ
と進み始めることに……。
レ・ミゼラブル公式サイトより引用)

◆イントロダクション(序章)

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“映画「レ・ミゼラブル」Rectangle Productions Lyly Films”

この映画には水がない
渇きを癒す潤いがない
渇き切っている
それが第一印象でした。


殺伐とした渇き。
映画に出てくる人々は
皆渇いている
飢えと渇きに満ちた
ギラギラとした眼で生きている


普通の映画であれば
物語のオアシスとして
水の要素ー
癒しのキャラクター
主に女性ー恋人、母、子供
だったりしますが
レミゼラブルには
そういう人物が現れません。
主人公が唯一、理性的というぐらいです
女性も子供ある意味リアルで
タバコを吸う女学生
SNSに夢中になる子
生活に必死な母親
皆どこかイライラしているのです
もちろん美男、美女
といった目の癒しもほとんどありません
確かにリアルな日常ですが
常に火花を散らしている
このレミゼラブルという街には
火のイメージ
争いの導火線が街のあちこちにあふれ
常に一触即発の緊張が漂う
日本人から見ると
ありえない非日常の世界が
そこにあります


フランス、ヨーロッパ大陸という性質上
移民の問題
いろんな人種が集まって
考えも、習慣も、生き方も
まるで違う価値観が
一つの街に集められたら
島国である日本人の思いもよらぬ
世界があるかもしれません
しかし島国にいる日本人にとって
この映画「レミゼラブル」は
他人事のファンタジー
のように見えるでしょうか?
恐らく
この街に住む人々の
怒り
悲しみ
憎しみ
はむしろ身近なものに
感じると思います


それは最近話題になった映画
あるいは映画祭で評価されている
作品が国や人種に関係なく
一つの問題「格差社会
を取り上げているからです
日本では「万引き家族
英国では「私はダニエル・ブレイク」
韓国では「パラサイト」
アメリカでは「ジョーカー」
と話題作のほとんどが
格差社会を扱っているという
皆、意識したわけでもなく
本当に偶然ーあるいは必然
今の世界の人々を描こうとすると
格差社会
を描きざるおえないと思います


レミゼラブルというタイトル
これは痛烈な皮肉を込めた
強い意味を感じます
歌劇で描かれる人々の
ドラマチックな貧しさでなく
リアルな貧しさ
レミゼラブル
=悲惨な人々の本当の貧しさ
を描こうという
監督の意志を感じます


レミゼラブルで描かれる
今を生きる悲惨な人々の貧しさ
とは何かについて
話していこうと思います

※ここから先はネタバレ感想です 
 ご注意下さい

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「地獄の黙示録」感想~光の嘘、闇の真実~

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地獄の黙示録」作品紹介

1979年公開のアメリカ映画
監督:フランシス・フォード・コッポラ
原案: ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』
2001年 53分の未公開シーンが追加の
地獄の黙示録 特別完全版』も参考
※予備知識
●元は『スター・ウォーズ
のルーカス監督の企画。
作品の権利をコッポラ監督
に譲り渡したのが始まりだそうです
●コッポラ監督は映画化にあたり、
『闇の奥』以外にもさまざまな
作品をモチーフにしたらしいです。
①詩人T・S・エリオットの『荒地』
②王殺しや神話的なイメージ
③日本の三島由紀夫も参考に
④独特の音楽はシンセサイザー
世界的評価を当時受けた冨田勲を参考
カンヌ国際映画祭 
パルム・ドール受賞

目次

  • ◆あらすじ
  • ◆序章
  • ◆2章 「独断」という罪
  • ◆3章 戦場のカオス
  • ◆4章 舟を離れるな
  • ◆5章 四つ星の道化芝居
  • ◆6章 交わる幻想と狂気
  • ◆7章 切れた緊張の糸
  • ◆8章 終わりの見えない戦い
  • ◆9章 誰ものぞまない戦い
  • ◆10章 エロス(生命)の息吹
  • ◆終章 闇の奥

◆あらすじ

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地獄の黙示録・特別完全版 Universal”

1969年ベトナム戦争下ー
戦いに疲れ、二日酔いに苦しむ
ウィラード大尉(主人公)に
一つの指令が下ります
戦争で正気を失い、
暴走するカーツ大佐を暗殺せよ
カーツ大佐を探して
ジャングルの奥地へと向かう戦場の旅。
そこで目にする地獄
そこで出会う戦争の真実
そこで見つける魂
旅の終点でウィラード大尉を待ち受ける
「闇の奥」とは…

◆序章

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地獄の黙示録・特別完全版 Universal”

「君は考えたことがあるのか
真の自由とは何か?
他人の意見にとらわれぬ自由
自分からも解き放たれた自由」


軍人として
命を賭けて任務をこなし
終点にたどり着いた
ウィラード大尉(主人公)に
カーツ大佐が語る
印象深いセリフの一つです


社会で生きていれば、
集団の中で生きようとすれば
One for all, All for one
「一人はみんなのために、
みんなは一つの目的のために」
そう生きるのが肯定されますし、
誰もがそれを「善」と考えます
でも、立ち止まって
心の声に耳を傾けてみます
聞こえませんか?
押し殺していた自分の声
それは苦しい顔つきをしていませんか?


「一人はみんなのために、
みんなは一つの目的のために」
これは人間にとって果たして
本当に「善」なのでしょうか?
「一つの目的」が
いつも正しいとは限りません
もし狂気であったなら…


戦争を「悪」と世の中の人は考えます
ではその戦争をしているのは
何者でしょうか?
軍人さんの集まりー
軍隊ですね
戦争を「悪」とするならば
「軍隊」も悪であるはず
でも軍隊は正義の戦いを語ります
「一人は国のために、
みんなは国の正義のために」


抱える矛盾。


人殺しは「悪」と世の人は考えます
しかし軍隊は正義のために人を殺します


地獄の黙示録」という映画は
軍人として戦争を生き抜くうちに
この矛盾に気づいたしまった
二人の男が出会うまでの物語。


光を浴びた偽りの自分に悩む者
闇の中に沈んだ本当の自分を発見した者


立場は敵対していますが
魂は惹かれ合う
長い川のぼりの旅の果てで合流します


「俺が彼の物語を伝えるのは
偶然ではない
彼の物語は俺の物語」


この二人がで出会うまでの魂の旅
合流した二つの魂が
出した答えにについて
お話していこうと思います

※ここから先はネタバレ感想です 
 ご注意下さい

 

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1917伝令~映像美に全賭けした強さと弱さ~

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“1917 命をかけた伝令 Universal Pictures ”


※注意 ネタばれ有りエッセイなので、

映画「1917命をかけた伝令」未見の方はご注意ください

目次

「映像の力」に全てが捧げられている
そのチャレンジングな姿勢は好き
新しい戦争映画の傑作の誕生
それがこの映画の第一印象でした。


でも、その振り切りは
諸刃の剣という問題も抱えています。
映像の威力が100%発揮できる
反面、
葛藤のドラマが生まれにくいかもしれません。


以前、監督のサムメンデスが
007シリーズの担当する時
「アクションしつつドラマを展開させる」
理想を語っていた記憶があります。
今回もそのチャレンジの
延長線上にあるような気がします。
ですから
「映像の迫力に圧倒され大絶賛する人」

「ゲームみたい、ご都合主義と冷めた目で見る人」
に分かれるのは理解できます。


映画「1917」の
「諸刃が強さとなって成功した映像美」

「諸刃によって弱さとなったドラマ(葛藤)」
について、お話していきたいと思います。 

◆映像の強さ 地を這う目線

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“1917 命をかけた伝令 Universal Pictures ”

この映画は、見る人に戦場を歩かせます。
その足で
しっかりと踏み進みながら、
戦場の鉛(なまり)色の空気
ハエを呼び込む死体の匂い
クモの巣のように張り巡らされた鉄条網
泥のぬかるみ…


戦場に転がり落ちている
戦争の傷跡を
遺跡巡りのように
歩かせ体験させてくれます。


殺伐とした戦場を、
足音が響くくらい
地を這う目線で
目に焼き付けられる感じがします。

◆映像の鋭さ   不意をつく惨劇

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“1917 命をかけた伝令 Universal Pictures ”

墜落した戦闘機から
火ダルマの敵ドイツ兵を助けるシーン。
スコフィールドが火を消そうと
鉄カブトを水一杯にして振り返ると
血まみれで倒れるブレイクの姿。


敵のドイツ兵の手にはナイフ
ブレイクは内臓を押さえながら息絶えます。


善意が凍り付き
戦場にいることを
胸に刻み込ませる
鋭い映像の力が刺さります。

◆映像の躍動感 命を賭けた疾走

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“1917 命をかけた伝令 Universal Pictures ”

ブレイクとスコフィールドの会話の中で
不潔な髪を気にして、
恋人に送ってもらったヘアオイルを
髪に塗ったまま眠った兵士がいて
ネズミがその匂いを嗅ぎつけ
耳をカジり取られた。
その兵士は、耳をカジり取られた後も
ヘアオイルの匂いがネズミ達を引き寄せ
逃げる兵士にネズミ達が群がったという
ネタ話がありましたが、


これは二人が使命という意思をもって
走り続ける汗臭さー
生きるものの躍動が放つ匂いが 
戦場の災いが嗅ぎつけー
闇の中から次々に襲ってくる敵兵
スナイパーの鋭い銃弾
砲弾の嵐
という死のネズミ達を引き寄せる
戦場の運命が
重ねられているように思えて


次から次へと襲い来る死のハードル
を乗り越えていく
命を賭けた疾走のきらめき
が力強く表現されているように感じました。

◆映像の美学 美しい地獄絵図

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“1917 命をかけた伝令 Universal Pictures ”

物語の後半ー
撃たれて、意識を失い暗転。
目を覚ますと
闇夜の窓枠から
燃え上がる街が視界一杯に広がる。


廃墟となった建物が
地面に黒い影を落とす中
眼の前に現れる
炎の光に包まれた教会


この美しい地獄の中を
走り抜けるシーン
映像に全てを捧げた価値があり
映画史にも残る名シーンだと感じました。

◆映像の癒し 風のささやき

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“1917 命をかけた伝令 Universal Pictures ”

泥と血まみれの景色が続く中
360度視界が開ける感覚で広がる
草原のエメラルドグリーンの心地よさ


ヒラヒラと舞う
淡く白い花びらの癒し


闇の中の救いのように差し込む
ランプの金色の光
温かな日差し


張り詰める緊張の中
心地よい風のように
美しい自然のささやきが
心をなだめてくれる


人の小さな争いには
無関心のように
柔らかい光で包み込んでくれます。


そして目的地に辿り着いた時、
森に響く歌声


何か
懐かしい感じ…
故郷、家族、
争いが始まる前に生きていた
穏やかに流れていた時間
その大切さに
地獄のような戦場を
その足で
血と泥にまみれて
走り抜けたからこそ
歌声が
スーっと胸の中に入り
血と泥に汚れた
「意地だけでしている戦争」
という愚行を
洗い流すように感じる
美しい静寂も映像の魅力だと思いました。

◆ドラマ(葛藤)の弱さ

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“1917 命をかけた伝令 Universal Pictures ”

伝令を届けるというシンプルな物語ゆえ
複雑なドラマは生まれにくいです。
基本、二人の兵士だけで
物語を進めていきます。


舞台もノーマンズランド(無人地帯)
主人公が急がなければならないという
時間制限もあります。
いろいろな人間同士のぶつかり合い
意見や感情の衝突はほとんどありません
何故なら
立ち止まっているヒマがないからです。
そうなると、二人の兵士の中のドラマに
焦点が絞られてきます。


二人の兵士は、
伝令の任務に対する思いに
違いがあります。
ブレイクは兄を探すために危険も
そっちのけで爆進しようとします。
スコフィールドは、
物語のラストで分かるのですが、
奥さんと子供がいて
危険な任務をしたいわけではなかった。
「なんで俺なのか?他の人の方が良かった」
的なセリフを口にしますが
そこに隠された理由が
ラストの方まで見えにくいのです。


ただ危険なだけでなく、
「大切な人がいる」
それは物語の途中の
聖母と赤子の出会いでも
暗示されています。
彼には帰らなければいけいない
場所があり
守るべき家族がいる
ブレイクの無鉄砲に
付き合わされるのは
悩むところがあると思います。
しかし
ブレイクも
兄という帰るべき場所があり
それが危険な戦場を
くぐり抜けた先にある。


スコフィールド
→スタートラインで生きたまま
→帰るべき家族のいる場所
ブレイク
→危険を乗り越えた先のゴール
→帰るべき家族のいる場所
と帰るべき場所が真反対の方向にあります。


この綱引きみたいな葛藤が
物語全体にあるのですが
危険を乗り越え前進する
映像の威力が強すぎて、
帰るべき場所がある葛藤
という後退のドラマ要素が、
かなり薄味になっている気がします。

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“1917 命をかけた伝令 Universal Pictures ”

この「危険を覚悟で駆け抜ける映像の前進する力」

「帰るべき場所のために生き残らなければならない後退する心の葛藤」
の綱引きのパワーバランスが働けば
サムメンデス監督が目指した理想の
「アクションしつつドラマを展開させる」
というさらなる高みに
到達できたかもしれません。


 でも個人的には好きな映画です。
撮影監督に全てを賭けるという
「チャレンジ」
その志と支えたスタッフの働きに
は感心しきりです。
本当に素晴らしい映像は
舌を巻く他ないです。
「戦争映画の名作の誕生」
であることは間違いないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「殺人の追憶」裏テーマ~迫るのは事件でなく、人間の闇というブラックホール~

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“イラスト化ー映画「殺人の追憶」CJ ENM”

※注意 ネタばれ有りエッセイなので、
映画「殺人の追憶」未見の方はご注意ください

◆序章 人は悪を決めることが出来るのか?

「眼を見て、直感でわかる
人を見る目があるから、捜査課に回された」
自信満々に語る地元刑事パクに
ク課長が問います。
「一人は強姦犯で、
もう一人は被害者の兄さん
どちらが犯人か当ててみろ」

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

あなたはどちらが犯人だと思いますか?


傷の目立つガラの悪そうな男
ー見た目から乱暴そうなコイツだ
細々とした青白い大人しそうな男
ーいや意外と、
こういう奴がサイコなんだろ


あなたの心に「決めつけ」が
働きませんでしたか?
人は何の根拠が無くてもー
背景を何も知らなくてもー
自分だけの人生経験、
直感から判断しがちです。
地元刑事パクの
鋭い眼差しのアップで
場面が切り替わり
「答え」はこの時点では示されません。


何故なら、
このシーンが物語全体を貫く
「問い」を投げかけているからです。
そして物語が進み
ラストに
「答え」でなく
「応(こた)え」が来ます

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

「俺はもうわからない」


物語途中に出てくる哲学的なセリフ
「なぞなぞを最初に考えたのは誰か?
 それと同じでわからない」
あらゆる差別、格差、人間の闇
を生んだのは何か?


これが物語の
真のクエスチョン?だと思います
犯人捜しの話とは別の裏テーマ
「人は悪を決めることが出来るか?」
犯人の見える残酷さを追う内に、
村人の見えない残酷さが見えてきます
犯人の闇を追う内に、
村社会の闇が垣間見えます 
そして辿り着くのはトンネルの穴
人間の闇というブラックホール
だから犯人を
捕まえることができません
永遠に。
事件というのはモチーフに過ぎず
迫りたいのは事件でなく
底なしの
人間の闇(ブラックホール

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

文明の灯は
夜を無くすことが出来ても
闇を無くすことが出来ない。
そこで生きる
人間の理不尽な運命の怒り。


三人の犯人に疑われた村人を追いながら
村人の闇
社会の闇
刑事達の闇
人間の闇
を深く掘り下げていこうと思います。

◆1章 差別の闇

青空の下に揺れる金色の稲穂
のどかな風景が画面いっぱいに
広がる真下で
地元刑事パクが側溝の中の闇を覗く。
黒アリの嵐に覆われた、
青白い女性の肢体
刑事達が初めて村の闇と
出会う象徴的なシーン
幼いころから何気なく過ごしてきた。
この村で、
地元刑事パクと地元刑事チョは
コンクリートの側溝に
闇の入り口を見つけてしまいます。
そして闇の正体を確かめるべく
捜査を始めます。


顔、顔、顔のアップのカットが続く
いびつな顔、卑しい顔、貧祖な顔
全てに攻撃的で
キツい取り調べが続きます。
アクセントを打つように
スーツ姿の髪の整った男。
手の平を返したかのような
穏やかで紳士的な取り調べ。
まさに「差別の物差し」
が表現されています。


その後、
田園で起きた第二の殺人の犯人に
知能障害を持った焼肉屋の息子
を容疑者として
無理やり連行します。
狭い村社会の噂話を元に
辿り着いたのは
「偏見」という差別の闇です。


スニーカーの証拠をでっち上げ
林の中での自白強要 
イスに縛り、暴力で脅し、
「偏見」を「正当な証拠」
にすり替えていく


そこに都会の市警から来たエリート
市刑事ソがこの村社会の「偏見」に
ピリオドを打ちます。
知的障害のある息子は
手が火傷でくっついてヒモを縛れない
死体にあるヒモを手で
結ぶ小細工はできない


知能障害の息子とは何者なのか?

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

市刑事ソがつぶやく
「あいつは犯人とは
一番縁遠い人間です」
このセリフに全てが
込められていると思います。


知能障害の息子は
犯人ではなく被害者なのだと
村に隠れ潜む闇、
差別の闇の被害者。


それは物語の前半
息子の無罪を
必死に訴える父の姿から、
障害を持つ父と子の関係は
愛情のあるものと思えましたが、
物語の中盤ー
事件の目撃者である
知能障害の息子が、
問い詰められ、発作を起こして語りだす 
事件の闇でなく、
彼自身が見たもう一つの闇の告白
「俺が子供のころ、
あの人が俺をかまどに放り投げた」
彼の視線の先には
心配して駆けつける父。
手や顔にある火傷の原因ー
目に見えない真実の残酷さが
重くのしかかります


さらに残酷な仕打ちとして
息子は電車にひかれ
事件の真相
父の虐待
は闇の中に葬られます。
無垢な魂ほど
闇に飲まれるのかもしれません

◆2章 格差社会の闇

市警刑事ソの
ー「最新の科学捜査」
地元刑事パクの
ー「昔ながらの現場捜査」
の主張対立は
進むと都会と
置き去りにされる田舎の
格差を表している気がします。


「ソウルの田舎者!!」
地元刑事パクが、市警刑事ソを
罵る皮肉の言葉にも
格差の怒りを感じます。


また、地元刑事パクが熱弁する
アメリカは広い国だから頭を使う
大韓民国の狭い国の捜査は足を使う」
に至っては国の格差を
指摘しているような気がします。
置き去りにされている
国全体への皮肉ともとれます


もしくは、
韓国らしさを忘れてないかと
何でもアメリカにならえでいいのかと…


捜査方法が分かれた二人の刑事ー
面白いのは、
人は行動する時
①体を使う(現場の足の捜査)
②頭を使う(科学捜査)
という順番でダメだとわかると
辿り着くのは
③霊感  
(地元パク刑事の占い師のアドバイス
(市警ソ刑事の殺害現場で
ラジオを流し、瞑目する)
ここで2人は
「犯人は現場に戻る真理」に至り、
刑事達が合流するという見事な流れ。


そして現場に現れたのは
女性の下着で自慰する変態男。
追いかける三人の刑事ー
市警と地元刑事は一体となり疾走する
見事なカメラワークの躍動感

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

 

変態男とは何者なのか?

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

変態男の近所の評判は良く
真面目で、
家族思いの、
働きものの労働者


しかし
彼には休まるところがない
家は狭く汚い、蠅の羽音がうるさく、
病気の妻と子供を抱えている。
息ぬき出来る場所がない
外で自慰する→プライベートがない
自分の自由な時間すら持てない
貧しいものは、
場所も、
時間も、
プライベートもない


変態男が、取り調べで吐く言葉
「藁をつかんで
どんどん登っていきました 
すると着いたところが家じゃなくて、
学校の便所だったんです」
半地下(貧民)で暮らすものは
便所すら見上げる。
究極の格差社会の闇。
働いても、働いても、報われない
ー底なしの貧乏地獄。
底から一生懸命這い上がっても
ー先が見えない。


学校で市刑事ソが女学生に聞く
「便所に隠れている犯人の話、
誰が最初に話したか?」
女学生の答え
「なぞなぞを最初に考えたのは誰か?
 それと同じでわからない」


誰がこんな社会にした?
誰が悪い、何が原因?
というより、気づいたら
いつのまにかー
貧乏と金持ちに分かれていた…
という格差社会の不条理を
表現していると思います。

◆3章 権力社会、学歴社会の闇

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

取り調べ室の闇の中で
対峙する刑事達と青年ヒョンギュの絵面は
当時の、
警察=「軍の権力」
青年ヒョンギュ=「反抗する学生」
の対立を風刺している構図にも見えます。
強く迫る刑事達に
「あなたたちが拷問しているのは
子供でも知っている」
ここで庶民の、若者達の
警察権力に対する
本音が吐露されます。


白い手のインテリ文学青年は何者か?

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

最も犯人の疑いが強い
ミステリアスな存在として
描かれています。


当時は軍事政権と
学生が衝突していた時代ー
刑事は権力側の人間
力で服従させようとします。
刑事達の取り調べを
拷問と呼ぶのもうなずけます。


青年のため息、
やれやれという表情
権力者に辟易とした
当時の若者の心だと思います。
その眼差しの鋭さは
反抗する若者の決意。
間に何度か挿入される
学生運動の衝突と重なります。


そして
対になる存在として、
青年に蹴りを入れる
地元刑事のチョ刑事
この乱暴な刑事のキャラは
不快すぎて
理解できなかった人
は多いと思います。
この地元刑事チョとは何者なのか?

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

悲しい学歴コンプレックス。
韓国は超学歴社会で、
人生が学歴で決まる
といっても過言でないようです。


地元刑事チョが先輩刑事パクに大学寮のことを
うらやましそうな視線で聞く。
学生運動する女子大生の
髪をつかんで暴行
そして飲み屋で大暴れ 
大学生達に吠える
「親のすねかじりが!」
「教授と寝たんだろ!」
その地元刑事チョの目に余る
暴行シーンが多い中、
彼の悲しさ、惨めさが
描かれる場面があります。


青年ヒョンギュに蹴りを入れて
取り調べを台無しにした時、
シン課長が怒り、地元刑事チョを
階段から蹴り落とすシーンです。
乱暴な地元刑事チョが無抵抗に
階段から転げ落ちていく。
階段の下で身を丸め、むせび泣く。


権力には逆らえない惨めさ
韓国の父性社会 
父、年上の先輩は絶対的
学歴も地位も年齢も上のシン課長は
超えられない壁。


その地元刑事チョにクギを刺すのが
知能障害の息子。
焼肉屋で暴れる地元刑事チョの足に釘を刺す
これは痛烈な皮肉。
学歴とは最も外にある
純粋無垢な子供のような男に
そのコンプレックスを砕かれる


刺された釘は破傷風という罰を
地元刑事チョに与えます。
傷を放置しておいた無知と
粗雑な性格への残酷な罰。
地元刑事パクが地元刑事チョを
病院へと連れてった時
手術の許可のため
親族のサインを求められます。
ここで地元刑事チョに親がいないことが
明らかになります。


親がいなく、貧しく
教育を受けられない悲しさ
超学歴社会では最悪の貧乏クジ
そのやりきれない怒りを
当たり散らしていた
彼の惨めさ、切なさが滲む
学歴社会の闇が生んだ悲しい存在

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

◆4章 人間の闇というブラツクホール

川のほとりで
行き詰った地元刑事パクに恋人ソリョンが言う 
「刑事をやめたら?人のする仕事ではない」
この言葉の投げかけは
「真の悪を見つだすことが人にできるのか?」
という問いに聞こえます。


善悪は何の物差しで測られるのか?
道徳?
道徳は国や人によって違います。
共通する部分もあれば、
違う部分もあります。
人によって千差万別
道徳ほど曖昧なものはありません


刑事の恋人ソリョン
彼女の描き方にも善悪割り切れない
描き方がされています。
田舎の出歩きが不自由な老人たち
のために薬を売って回っている
それは「福祉」という善だが、
地元刑事パクの
「病院時代より儲かっているらしいな」
の言葉どおり
医療品を高齢者に転売している
という卑しさも含んでいる。
でも彼女の存在は
村の老人の助けになっているのも事実で、
コトは単純ではないような気がします。


物語も佳境に入り
灯火管制の夜闇 
訓練空襲警報の声が響く中
最後の非情な事件が起きます。
刑事に噂話を話してくれた少女の惨殺
市刑事ソの怒りは一線を超え
その矛先は青年ヒョンギュに。


トンネルの先の見えない闇は
ブラックホールのように
市刑事ソを闇の世界へと
引きずり込みます。

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

「お前見たいな奴が死んでも悲しまない」
「お前が殺したと言え」
「全部吐け!」
狂ったかのように人が変わり
殴り、蹴り、にらみつける市刑事ソ


青年ヒョンギュは血に染まった唇で答える
「俺が全員殺した」
「この言葉を聞きたいか?」
「気が済んだか?」


震える手で拳銃のリボルバーを回す市刑事ソ
止まらない怒りと殺意。
何が彼をこれほど変えたのか?


市刑事ソとは何者なのか?

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

真実がわからない人間の怒り
その怒りに飲み込まれる愚か者


「今までよくもあざ笑ってくれたな」
「俺たちをあざ笑ったろ」


何が真実で、何が嘘かわからない
もどかしさ、
答えを見つけ出すことのできない
人間の怒り


偶然生まれて、突然死んでいく
この理不尽に
神か悪魔が運命を
もて遊んでいるのではないか
それを天から、地獄から笑みを浮かべて
楽しんでいるのではないか
犯人への怒りに
この答えの出せない人生の理不尽が、
重ねられているように感じます。


銃を向けようとする市刑事ソの元に
地元刑事パクがアメリカからの
DNA鑑定の結果を持って現れます
食いつくように書類を見る市刑事ソ
「犯人とは断定できない」の一文
紙きれひとつで全てが振り出しに戻る。
魂が抜けたように
宙を見るめる市刑事ソの虚ろな瞳


科学捜査より肉体捜査が
俺のやり方だとばかりに
地元刑事パクは得意の霊媒師の目で
青年ヒョンギュに迫る
真実を見抜こうとする地元刑事パクの鋭い視線
真実を訴える青年ヒョンギュ強い眼差し
「ちゃんと見ろ!」
相対する2人の魂。


地元刑事パクとは何者なのか?

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

自身の狭い価値観で
悪を見つけ、悪を決め、悪を裁く
勘違いした人間の思い上がり。


「俺はもうわからない」
このつぶやきで
地元刑事パクのやってきた拷問捜査
の呪いが解けます


地元刑事パクの顔つきは穏やかになり
「飯は食っているか?」
「行け」
と初めて犯人を気遣います。
自分が正しいと信じた
狭い価値観で
悪を見つけ
悪にしたてあげていた
自分の業に気づいたのだと思います。


トンネルの闇の向かって
歩み去る青年ヒョンギュ


市刑事ソの発砲する銃弾は
闇に吸い込まれ届かない


振り返る青年ヒョンギュ
青白い眼差しでこちらを見据える


その姿は
永遠に捕まえることのできない闇
人間では手の届かない
闇の世界へと
消え去る死神のようにも見えます。

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

◆終章 小瓶に閉じ込められたイナゴの謎

 最後にー
少年が最初の事件現場で、
稲にいるイナゴをつまみ取る
印象的な冒頭シーン。


初めて見た時、
何気ない日常の一コマだと
見過ごしていましたが
見返してみると、
パク刑事に
イナゴが入っている小瓶
が見えないように
少年は後ろに隠し続ける
ことに気づきました。


まるで小瓶の中に閉じ込めたイナゴが
誰も見ることのできない
被害者の魂
事件の真相
真実
のように見えます。


物語の始まりから
パク刑事達は
真実を知ることのできない運命
を暗示してるのかもしれません

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“映画「殺人の追憶」CJ ENM”

 

 

 

 

 

 

 

 

シネマ図解「ジョーカー」~手強い魅力を三段重ねのレイヤーで解説~

※注意 ネタばれ有りエッセイなので、
映画「ジョーカー」「ダークナイト」「タクシードライバー」「キングオブコメディ
未見の方はご注意ください

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“映画『ジョーカー』 Warner Bros.

◆手強い魅力ーその秘密
「ジョーカー」は、
三つのジャンルの異なる映画を
下敷きに使っています。
ダークナイト
ーアメコミヒーロー映画
タクシードライバー
ー社会派ニューシネマ
キングオブコメディ
ーコメディ映画


さらに三つの映画は、
それぞれのメインテーマが違います。
ダークナイト」   
【善悪】
タクシードライバー
【主観(個人)と客観(社会)】
キングオブコメディ
【悲劇と喜劇】


このように一つの映画に、
「ジャンル」の違う
三つの映画の内容、
三つの濃いテーマ、
を盛り込んでいるので
当然、一筋縄ではいかないわけです。
まさに「手強い映画」!!。
しかし、これが不思議な魅力の
スパイスとして効いてくるのです。


◆三段重ねのレイヤー構造
この複雑な作りこそ
内容が「つかめない」
原因の一つと考えています。
そこで、三段重ねのレイヤー構造を
図解、整理してみました。

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「ジョーカー」という映画の大枠に
三つの映画の要素が
表面→中層→深層と
三段重ねのレイヤー構造
になっています。
それを個人的には
「映画=人生」という
大きなテーマが包み込んでいる
と考えています。
これから三つの映画の層について
一つずつ、
引用イメージ(図、写真)と連動した
解説をしていきたいと思います。


◆表面1層
ダークナイト
表面のレイヤーは
映画「ダークナイト
基本的なバットマン
アメコミ映画としての下敷きです。
テーマが「善悪とは何か?」
そもそもヒーローって正しいの?

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“映画『ダークナイトWarner Bros.ワーナー・ブラザースより引用”

バットマンの、
民衆を救おうとする善は、
上から目線の正義の押し付けという
悪にも見えます。
ジョーカーが、
押し殺していた自分を
暴走させていく悪は、 
世間に押し付けられていた
ルール(価値観)からの解放、
自己実現の強い意志
という善にも見えます。
「押し付ける正義」は「支配」
の顔つきをし、
「秩序の破壊」は「自由への解放」
の表情を見せます。
どちらが正しいというより
コインの裏表で、
表裏一体の存在。

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 ◆中間2層
タクシードライバー
中間のレイヤーに
映画「タクシードライバー
つらい社会的現実、
被害妄想の危さ、
を描く社会派ニューシネマ
としての下敷きです。
テーマが「主観と客観の区別」

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“映画『タクシードライバーColumbia Picturesより引用”

世の中が悪く見えるのは、 
自分が悪いのか?【主観】
それとも社会が悪いのか?【客観】


銃で射貫くのは      
鏡に映った自分自身か?
画面の向こうにいる他人か?


悪の原因を求める標的に、
自分が立つのか?
他人を立たせるのか?


面白いと思うのは、
主観的に見た時、 
他人の悪さが目につく。
客観的に見た時、
自分の悪さを見出す。


主観は「意思」であり、
また「思い込み」
客観は「観察」であり、
また「冷たい視線」でもある。
水鏡に映った自分をどう見るか?
禅問答のように答えは反転します。

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◆深層3層
キングオブコメディ
深層のレイヤーに
映画「キングオブコメディ
チャップリンの名言
「人生はクローズアップで見れば悲劇、
ロングショットで見れば喜劇」
に基づくコメディ映画の下敷きです。
テーマが「悲劇と喜劇の紙一重=人生」

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“映画『キングオブコメディ』Twentieth Century Fox Film Corporationより引用”

ジョーカーという映画は
悲劇という鐘で、
重々しい物語の始まりを告げます。
ピエロが看板を子供たちに奪われ、
暴行され、
ぶっ倒れた姿
のアップで始まります。
=「人生はクローズアップ
で見れば悲劇」
そして、喜劇というスキップで
軽々と物語から去っていきます。
ラストに病院の中で、
職員との追い駆けっこ
が引きの画で、
コメディ風に幕を閉じます。
=「ロングショットで見れば喜劇」
という展開で、 
これは人生が悲劇や喜劇の
どちらかで語られるほど、
単純ではないと含みを感じます。


キングオブコメディの主人公も
「誘拐犯という悲劇」の中で、
「自分のコントを披露する喜劇」
がクライマックスにあり、
昔のイジメ、虐待という
「過去の悲劇」を、
コントのネタという
「喜劇の力」で浄化する、
カタルシスがあります。


結局、物語はー
あるいは映画はー
悲劇でも喜劇でもなく、人生。
美しかったり、愚かだったり、
「一所懸命生きたその姿」
だと思います。
だからジョーカーは
悲劇でも喜劇にも割り切れず、
「真っ直ぐな映画=人生」
として突き刺さるのだと思います。

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19世紀ドイツの隠し絵 近くで見ると幸福な2人、遠く離してみると…